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大津地方裁判所 昭和32年(ワ)54号 判決

原告 在日朝鮮人総連合会 滋賀県本部膳所分会

被告 星山益吉こと 李旦奉

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

原告訴訟代理人は(一)別紙目録記載の土地、建物(以下本件不動産と略称する)が原告の所有であることを確認する。(二)被告は鄭千欽に対して本件不動産につき所有権移転登記手続をなせ、(三)もし右(二)の請求が認められないときは被告は本件不動産につき昭和二十二年六月三日大津地方法務局受付第一、一四五号による各所有権移転登記の各抹消登記手続をなせ、(四)訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求めた。

第二、主張

一、原告の主張

1  当事者能力

被告は原告の当事者能力を争うが、原告分会はその規約により分会員たる在日朝鮮人の共同の利益を図ることを目的として、同胞間の親睦、生活の正常化並びに改善民族教育並びに文化の発展、日本朝鮮両国民の親善、その他必要な事業を行い、社会的活動を営んでいる法人格なき社団であり、更に規約上内部事務処理のため分会長一名の外役員を定め、分会長は同時に原告分会を代表する権限を有しているから訴訟上の当事者能力を有し本訴は適法である。

2  原告の名称

原告分会は昭和二十二年当時は在日本朝鮮人連盟滋賀県本部膳所分会(以下朝連膳所分会と略称する)と称していたが、その後朝鮮戦争が一触即発の情勢にあつた昭和二十四年九月八日反米的色彩あるものとの誤解により当時の占領法規たる団体等規正令の適用を受け解散を余儀なくされるに至つた。しかしながら右解散は形式上に止まり団体の実体においては何等変ることなく解散の後においても在日朝鮮人同胞の地域的共済的親睦団体としての活動を継続し、やがて平和条約発効に伴い日本が独立国としての地位を回復するに及んで、占領法規たる右規正令が廃止されるとともに、原告分会は再びその全機能を回復して適法な活動を行い得ることとなり、昭和三十一年五月二十六日にその名称を現在のように改めたものである。したがつて原告分会は朝連分会そのものであり後者と実体を同じくする。

3  本件不動産の取得

本件不動産は原告分会が右の如く朝連膳所分会の旧称を用いていた昭和二十二年の当時、分会員の子弟教育のため学校々舎を必要としていたので、分会員の手で農楽隊を組織の上、市中を興行して募金活動により資金を調達し、当時の所有者であつた訴外今井兼輔より同年五月二十三日にこれを買受けたのであるが、朝連膳所分会としては法人格を有せず、その名義で取得登記を経ることができなかつたために分会員の決議を以て、便宜上当時分会長として代表者の地位にあつた被告と合意の上、被告個人の名義で登記手続をすることとし、その結果同年六月三日大津地方法務局受付第一、一四五号を以て本件不動産につき訴外今井から被告に対する所有権移転登記がなされるに至つたものである。したがつて被告の右登記名義は何等実質上の所有権を伴うものではなく、被告は真の所有者である朝連膳所分会すなわち原告のためにその登記名義を保有しているに過ぎない。

4  被告の登記名義保有権の喪失

被告は昭和二十四年五月に当時の朝連膳所分会代表者たる地位を辞するとともに分会を脱退したので、分会との間の右約旨に従い当然本件不動産上の登記名義を原告次期代表者に移すべきであるのに、却つてその登記名義あるを奇貨として自己の所有権を主張するに至つた。他方原告分会は昭和三十二年一月五日分会長たる鄭千欽と合意の上本件不動産を同人の所有名義で登記すべきことを決議したので、原告分会は被告に対し、同人との右契約を解除し本件登記名義を右鄭千欽に移すべきことを求めたところ被告はこれに応じない。

5  接収処分との関係

朝連膳所分会は前記の如く団体等規正令により解散を命ぜられた結果、その所有財産は悉く国に接収される憂目に遭つたのであるが、不幸中の幸として本件不動産は偶然にも接収処分を免れて残存したものである。而して解散当時その登記名義は形式上被告がこれを有していたとはいえ、接収を免れ得たことによりその実質上の所有権まで被告に移転したとすべき理由はなく、原告分会は朝連の右解散にかかわらずその実体において朝連膳所分会と何等変ることなく存続していたのであるから、本件不動産が依然原告分会の所有に属していることはいうまでもない。

6  原告と民団との関係

現に在日朝鮮人により組織されている団体としては原告分会の属する在日朝鮮人総連合会(以下総連と略称する)と被告の属する在日本大韓民国居留民団(以下民団と略称する)との二者が存在する。沿革的には昭和三年頃「親和会」が始めて在日朝鮮人の団体として組織されたのであるが、その後昭和十一年頃に改組改称して「協和会」となり、戦時中は日本の帝国主義的抑圧干渉を受けて著しくその自主性を弱められ、昭和二十年八月の終戦まで至つた。朝連は同年十月に従前の団体の右の如き性格に対する批判的立場からはじめて自主的性格の団体として組織設立せられ且つ地域的共済的親睦団体として活動するに至つたものであるが、その後朝鮮本国が不幸にして南北に分裂し相桔抗する情勢となるに及んでその影響を免れ得ず、思想的に自主独立、民族統一を標榜していた朝連はいきおい北鮮側に急傾斜し、その活動やや過激化してそのために前記解散を余儀なくされるに至つたものである。而して原告分会は朝連解散前同膳所分会の存在していた当時と同一の地区において、同一構成員によつて組織され朝連の解散後その過激的傾向を自己批判してこれを緩和するに至つたが、朝連の指導原理たる自主独立、民族統一による世界平和を目標として結集された共済的親睦団体であり、したがつて朝連膳所分会と実体を同じくすることは前述のとおりである。他方民団は昭和二十三、四年頃に朝連と対立して結成され、成立の当初から大国依存、事大主義的傾向に走り、思想的に朝連と相容れない立場で併存していたものであるばかりでなく、膳所地区における民団膳所分団なるものは同地区居住の朝鮮人のうち僅か一、二名がかかる名称をとなえているに過ぎず、何等団体としての実体を具えず活動も行つていないのであるから、右の如きその発生沿革上および思想的立場上の朝連との相違ならびに右実態に照らして朝連解散後におけるその承継者としての適格性を有しないことは明らかである。したがつてかりに朝連膳所分会と原告分会とが別異の団体であるとしても原告分会は前者の唯一の承継者であつて、原告分会を措いて他に承継者は存在しない。

7  原告の組合的性格

かりに右主張が認められないとしても、朝連分会の解散に伴いその所有に属していた本件不動産の分配処分につき別段の定めのなされなかつた以上、その帰属は恰も組合解散の場合にその財産が組合契約に基ずく拘束を脱して組合構成員の単純な共有に帰するのと同様に本件不動産も右解散後は当然にその団体構成員であつた原告分会員等の共有に帰したものと見られるべきであるから、構成員としては本件不動産に対し各持分権を有することとなるわけであるが、その構成員であつた被告が分会を脱退したことは前記のとおりであり、しかもその脱退手続は平和裡になされたものではなく、他の構成員と協調せず却つて年来宿敵の関係に立つていた民団側に走つたものであつて、その行為に照らして被告は共有財産に対する持分権抛棄の意思を有していたと認められ、同意思は昭和二十四年五月朝連膳所分会長更迭の時に至つて確定的に表示されたと認むべきであるから、これにより被告の本件不動産に対する持分は皆無となつたものである。

以上によりいずれの点よりするも被告は本件不動産につき登記名義を保有すべき理由はないから前記申立のとおり本訴請求に及ぶ。

二、被告の主張

1  答弁

原告主張事実のうち、その主張の如く本件不動産につき被告の名義で各登記手続がなされていること、在日朝鮮人の地域的共済的親睦団体として昭和三年頃「親和会」が組織され、これが後に「協和会」となり、終戦後朝連が組織されるに至つたこと、而して朝連が団体等規正令によつて解散となり、その所有財産が国により接収されたことはいずれも認めるもその余の事実は全べて争う。

2  朝連解散の効果

朝連は在日朝鮮人の単なる共済的親睦団体としての目的範囲を逸脱する如き活動を営なむに及んで右の如く団体等規正令により解散せられたものであるが、元来団体としての朝連に同令の規制の対象となるべきものと然らざる共済的親睦団体との二者があつたわけのものではなく、団体としてはあくまで一個の朝連として存在したものであるからそれが同令に照らして解散さるべき性格を具有していた以上 他の無害な性格に拘らず朝連は解散により消滅したものであり、解散の効果についても単に形式上に止まり実体は依然存続したとする原告主張は何等根拠がない。朝連は右解散の結果実体上も消滅してその承継人なるものは存在せず、原告分会は解散後に成立した朝連とは異なる別個の存在であるからその承継人ではあり得ない。

3  係争物件の所有者

本件不動産は被告が訴外今井兼輔から金二万五千円で買受け取得したものである。原告主張の農楽隊による募金収入はそれ以前膳所大竹町に存した旧朝鮮人学校の経費に充当支出せられ、本件不動産の買受代金は被告の出捐に係るものであつた。もつともその買受の目的は原告主張のようにこれを新に朝鮮人学校として使用するつもりであつたから買受後膳所地区朝鮮人の醵金を以て設備改修を施し被告の右出捐額もほゞ補填せられ、もし事態が平穏に推移した場合はやがて朝連の所有に帰すべきものであつたが、未だ被告の出捐分の精算を了しないうちに右朝連の解散という事態が生じたのである。而して解散に伴い朝連所有の財産は全部国に接収されたのであるが、本件不動産は右の如く被告の個人所有であつたから、当時滋賀県調査課による約一ケ月に亘る調査の結果、これが朝連の所有に属さないものとして接収を免れた。因みに当時大津市石山に存した朝連県本部建物は登記上訴外朴香俊の所有名義であつたのであるが、右調査によりそれが朝連所有財産とされて接収の対象となつたものである。

4  民団の存在

かりに右主張が認められず本件不動産が被告個人の所有でないとしても、それは膳所地区居住朝鮮人総員の使用収益に供せらるべき財産といわねばならないから被告としては右総員のために本件登記名義を保有しているのであり、且つ保有する責任がある。被告が現にその代表者分団長となつている民団膳所分団は原告分会と同様朝連の承継人でもなくこれを異なる別個の団体としてその解散後の空白期間を経て膳所地区に結成されたものであるが、もし被告に対して本件不動産の所有権を主張し得る者があるとすればそれは単に原告分会のみにとゞまらず民団膳所分団においても等しくその権利を主張しうるものといわねばならない。

以上により原告の本訴請求は理由がない。

第三、証拠

原告訴訟代理人は甲第一号証の一、二、第二乃至第七号証を提出し、証人黄浩淵(第一、二回)、同朴五奉、同今井兼輔、同李鎮[王秀]、同金沢こと金鳳祚、同村上市太郎、同孔点允同朴香俊の各証言と原告代表者鄭千欽に対する訊問の結果を各援用し、乙号各証の成立をいずれも不知と答えた。

被告訴訟代理人は乙第一乃至第三号証を提出し、証人姜相淙、同下[王睿]燮の各証言と被告本人に対する訊問の結果を各援用し、甲第一号証の一及び二の各成立及び同第六号証の中、被告名下の印影の成立をいずれも認め、同号証のその余の部分及びその他の甲号各証の成立はいずれも不知と答えた。

理由

一、先づ原告の当事者能力の有無について判断するに、証人黄浩淵(第一、二回)同朴香俊の各証言と原告分会代表者鄭千欽に対する訊問の結果によれば、原告分会は大津市膳所地区在住の約七十戸の朝鮮人のうち、若干の民団系に属する者を除く大部分を以てその構成員として昭和三十年五月頃結成されたものであり、法人格は有しないが主として会員の生活権の擁護、相互扶助ならびに親睦を図るため結成されたもので、団体固有の目的を有し、右目的達成のため会員より会費を徴し、分会の事務処理ならびに代表機関として定期的に分会長を選定している地域的共済的親睦団体であつて、社団性を有することを認め得るから訴訟上の当事者能力を有するものというべきである。

二、次に本案につき審按する。先ず在日朝鮮人によつて組織する共済的親睦団体として戦後朝連が結成されるに至つたことは当事者間に争いがなく、右各証人の証言ならびに原告分会代表者の供述を綜合すると、右朝連は全国的規模を有する団体として昭和二十年十月頃結成されるとともに、地方的には各府県本部地区分会などの下部組織も設けられ、大津市膳所地区においても同地域在住の朝鮮人約七十戸を以て朝連膳所分会が組織せられるに至つたこと而して同分会は一個独立の地域団体としても分会員間の相互扶助、親睦活動の外、分会員子弟の教育ならびに当時における朝鮮本国への引揚業務の促進活動などを行い、被告は昭和二十二年当時その分会長の地位にあつたものであることが認められる。ところで本件不動産につき原告はこれを右朝連膳所分会が買受けたと主張し、被告は自己が買受けたとして争うので検討するのに、これにつき訴外今井兼輔から被告に対する原告主張の如き所有権移転登記のなされている事実は当事者間に争いのないところであるが、証人今井兼輔、同朴五奉及び同李鎮[王秀]、同黄浩淵(第一、二回)の各証言原告分会代表者及び被告本人の各供述(但し被告本人については後記措信しない供述部分を除く)と被告本人の供述により真正に成立したと認むべき乙第三号証の一部を綜合すると、朝連膳所分会は従前膳所大竹町の借用建物において分会員子弟の教育のため、学校を経営していたのであるが、同建物が狭隘であつたので膳所地区内に他の適当な校舎用建物を入手する必要に迫られ、そこで昭和二十二年旧正月に分会員有志を以て農楽隊を編成した上、大津市内を巡回興行して募金活動を行い、それによる収益を買受資金として校舎用建物として好適な本件不動産を買入れることとし、同年三月頃分会代表者であつた被告がその所有者であつた訴外今井兼輔との間に買取交渉に当つた末、代金二万五千円で売買契約が成立し、同年四月三日金三千円を支払い、残金は前記登記手続と同時に支払つてこれを取得するに至つたものであること、右買受交渉の際被告は買受物件を学校々舎としては使用する事情を述べたところ、訴外今井はこれを諒として学校の設備費用に寄附する趣旨で代金の減額に同意したこと、登記手続に当つては当時朝連中央本部からの指令によつて取得財産はこれを同本部に報告の上、本部委員長の名義で登記すべきものとされていたが、右のように本件不動産は膳所地区分会員のため学校々舎に充てる目的であつたから、右指令による手続の煩雑を避け分会において自由に管理し得べき利便を考慮し、且つ法人格なき同分会名義でこれを登記することも出来なかつたので、便宜被告の個人名義で登記手続を経たものであること、而して買受後はこれに修築を加えて学校として使用していた事実が認められるから、これらの事実に照らすと本件不動産は被告個人がこれを買受けたものではなく、同人が当時その代表者であつた朝連膳所分会の財産として分会のため取得したものと認むべきである。尤も本件不動産の買受代金は必ずしも農楽隊による募金のみによつて賄われたものではなく、被告の出捐に負うことが多かつたことは被告本人の供述により窺えるが、右事実並に乙第三号証中被告買受名義の記載は右認定の妨げとなるものではなく、これに反する被告本人の供述部分、証人姜相淙、同下[王睿]燮の各証言はいずれも措信し得ず、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。してみれば、被告はその登記名義にかかわらず本件不動産につき所有権を主張し得ないものといわねばならない。

三、右朝連並にその下部組織がその後昭和二十四年九月八日団体等規正令に基ずき解散団体として指定を受け解散に至つたものであることおよび本件不動産が右解散後も国により現実の接収処分を受けることなく残存しているものであることについては当事者間に争いはない。

ところで団体等規正令はポツダム宣言の受諾に伴い我国が連合国の占領管理政策を誠実に実施するためのいわゆる占領管理法規の一環として、昭和二十年勅令第五四二号に基いて発せられた命令であり、形式上は同令に基ずいて既に施行せられていた「政党、協会その他の団体の結成の禁止等に関する件」(昭和二十一年勅令第一〇一号)を改正する政令として昭和二十四年四月四日に公布施行せられ、後に破壊活動防止法の附則により昭和二十七年七月二十一日に廃止されるまで存続していたものであるが、同じくポツダム政令たる「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」(昭和二十三年政令第二三八号)と相俟つて、基本的には昭和二十一年一月四日付連合国最高司令官覚書「或種の政党、政治的結社、協会及びその他団体の廃止の件」の趣旨を実施する役割を果していたものであることは明らかである。而して同令は団体の目的及び活動に照らして占領軍に対する反抗、反対又は最高司令官の要求に基ずく日本政府の命令に対する反抗、反対などの事由に該当する場合の外、所定の事由により軍国主義的、国家主義的、暴力主義的団体と認むべきものを違反団体としてその結成指導を禁止し、違反団体の解散を定めているのであるが、右解散は法務総裁の指定によつて行われ、一旦解散したときは爾後当該解散団体の主要役員等による団体の再建もしくは結成の指導、援助を禁じ且つ解散団体の構成員が新たに主要役員となりもしくは四分の一以上の構成員をなしている如き団体は別個の違反団体とみなされ改めて解散指定の対象となり得るものとされていること、他方前記「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」によれば、解散団体所有の財産は解散と同時に国庫に帰属し、解散団体としては一切の財産に対する管理処分権を失い、爾後の管理乃至清算手続は法務総裁がこれを行うものとせられていることが明らかであるから、これらの諸点に徴すると団体等規正令は解散後における解散団体の存続をいかなる意味においても予想していないものと云うべく、したがつて解散の法的効果として解散団体は社会的活動の主体たる地位を全面的に喪失し、その活動能力を否定されることになるものと解すべきである。そうであるとすれば、違反団体の解散後においては之が承継者なるものはあり得ず、かりに同一構成員の同一組織を以て事実上同種の団体活動が承継的に行われるに至つたとするも、それは解散団体以外の新たな活動主体による活動として法的な評価を受けることとなり、解散団体との同一性を認め得ないことは勿論、財産関係においても解散団体の承継能力を認める余地は存しないものといわねばならない。而してその後同令の廃止により、既成の解散の効果が何等かの影響を蒙ると認むべき特段の法律上の根拠も存しない。そこでこれを本件につき考えると、本件不動産を取得した朝連膳所分会が朝連の下部団体として解散したものであり、他方原告分会が在日朝鮮人の地域的共済的親睦団体として昭和三十年五月頃結成された団体であることは冒頭に認定したとおりであるから、右朝連膳所分会は解散によつて消滅し、原告分会はその実体及び性格のいかんにかかわらず前者と別個の団体と認めるほかなく、したがつて原告分会が朝連の解散にかかわらず依然これと実体を同じくして存続し、ただ其後名称を変えたに過ぎないから、本件不動産の権利者であり、しからずとするもその権利承継者であるとする原告の主張は右説示に照らして到底肯認し難くその理由のないことは明らかである。

四、次に原告はかりに本件不動産につき原告分会の所有権が認められないとしても、朝連膳所分会が組合的性格を有していたものであることを理由として、その解散後は分会員の共有に帰したものであるとして、これに対する各分会員の共有持分権があることを主張するのであるが、朝連膳所分会が組合的性質を有していたものとは認め難いし、また前に説明したとおり右分会の解散によりその所有の本件不動産は国庫に帰属することとなるのである。しかし現実にこれが接収のないまま今日に至つているのであるが、団体等規正令及び解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令の失効した現在、その所有権の帰属をどう考えるかは別論として、仮に原告の主張するように膳所地区在住朝鮮人の共有としてみても、被告本人の供述並びに同供述により成立の認められる乙第一、二号証により同地区に昭和二十六年三月一日民団膳所分団が結成され、その構成員の多寡は別として原告分会と併存していることが認められ、原告分会の構成員のみが本件各不動産の権利者として認めることはできないのみならず、元来本訴は法人格なき社団であると認むべき原告分会がその当事者として訴求しているものであり、組合契約上の組合員乃至共有権者が訴訟当事者となつているものではないから、右原告の主張はそれ自体理由なきものといわねばならない。

以上により原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三上修 土屋連秀 梨岡輝彦)

目録

大津市膳所北昭和町五百十九番地の一

一 宅地 百三十一坪二合九勺

右同所 家屋番号同町第三十七番

一 木造瓦葺二階建居宅 一棟

建坪 二十四坪五合

外二階 十一坪

附属

一 木造瓦葺平屋建便所 一棟

建坪 一坪五合

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